いま、助かるから

生きててね。

SOS011[山の手LINE部屋]

 

畜生おめーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーら全員最下位!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww死ねバクワラwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

終われ🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱

 

SOS010[優勝]

 

見栄と策略で何でも手に入れようとする自称アーチスト、そいつへのファナティックな憧れをドヤ顔で灯すキョロ充。

負けを知らない世界で生きてるそんな奴等は強者ぶって「優勝」を連呼する私含む界隈をバカにする。

彼等は常に自分の勝ちだけを謳歌しているので私達の「優勝」を知らない。

 

死ぬ程死ぬ程死ぬ程理不尽を感じる事が多い日常の中で自力で溜まったゴミを出しに行けた時、

珍しく自炊した食事がめっちゃ美味かった時、

数少ない友達とうまいメシを挟んでゲラゲラ笑い合えた時、

 

そんな瞬間に訪れる「優勝」の喜びを彼等が噛みしめる事はない。

 

私達弱者と見做される界隈は何を手に入れる事はなくても自称強者に屈せず生きてさえいれば「勝ち」なのだから、その中で些細でも幸せを感じられたならそれはもう「優勝」と呼ぶ他ないのだ。

 

そう実感する事が出来た今日、自称強者を憐れみ彼等の家にバラの花束を毎日送ることが出来そうだ。

 

はぁ、人生“最高かよ”。

今夜は良い夢見て「優勝」します。終🌱

 

SOS009[心臓]

 

目を瞑りながら誰かの左胸に手を当て、手の平に収まる程の鼓動を確認出来た時、その人の全身が自分の手の中にすっぽり収まっているような錯覚に陥ります。

 

向こうが自分と同じ人間にも関わらず可愛いモモンガか何かを手に乗せているような気になって、ガチのモモンガを乗せるよりも強い生命への感動と愛情が芽生えるのを感じます(因みにガチのモモンガを触った事は一度もありません)。この感覚は多分ギャップ萌えに分類されるもので、元の相手の身体がでかければでかいほどそのギャップが広がって衝撃が強くなる仕組みが付いてるんだと思います。

 

これを下心抜きで気軽に味わわせてくれる人が死ぬまで近くに居てくれたら嬉しいですね。

(希少価値が高過ぎるのでクソです)

 

終わり🌱

 

 

SOS008[生類]

 

「良い子」と呼ばれるわんちゃんねこちゃんは、人間の性感帯を擽るのが非常に上手い。

 

彼らを包んでるつもりになってる人間は、いつだって誰よりも彼らに包まれている。

余りに汚れた私は本当の意味で彼らの仲間になる事は出来ないけど、彼らを模倣して都合の良い馬鹿のフリで馬鹿な人間を包む側になりたい。好きな人間も、嫌いな人間も。

 

元から無能だった私はそんな願望を幼少期から抱いており、弱者である事を謙虚に自覚した人間として、愛玩動物特有の屈託のなさを振り翳す事が許されるポジションを薄汚く求め続けた。長きに渡る駆け引きによって、そのポジションは恐らく本物になった。本来山のようなプライドには必死でフタをしていた。得られた他者からの可愛がりによって承認欲求を満たす事で、どうにかそれが溢れ出すことを防いでいた。

 

しかし、その試みがいかに無謀であるかは20年も経たずして思い知らされる事になった。

結果、一昨年の冬辺りから私は抑えてきたプライドに呑まれ、たまに穢れから成る毒牙を剥いて飼い主ポジを軽率に名乗り出る輩を半殺しにしたくなる衝動とそれに対する自己嫌悪に度々駆られるようになってしまったのである(この件は、[寄せ書き]の記事で書いたキャラ嫌悪と丁度リンクしているように思う)。それによって、しばらくはコミュニティに参加する事はおろか、自分の好きな事にも手を付けられずただ寝込むだけの日々を産出してしまった程である。

 

暫く人に会わずして休養に休養を重ね、最近はこのように長文を書き散らせるようになるまでに回復した。それに伴い再び馬鹿のフリをする余裕すら生じてきたが、軽率にそれを再開するのは非常に危険だと感じる。

同時に、素でそういうポジションに立って(或いは勝手に立たされて)、何も文句を言えない状況で生を継続するお犬様お猫様はちょっと凄すぎると思う。

ご本人(わん・にゃん)達がどういう感覚なのか分からないけど、そんなん人間がやったら寿命20年程度で十分な筈だわ…

 

て事で、人間である限り弱者として最期に笑うには嫌でも汚れた愛らしさ人間臭さ両方バランス良く大事にしていかないと望んだ「死」は迎えられないと改めて認識する今日この頃でした。

 

表面上はバカみたいに可愛くて凶暴で一途な地獄の番犬ちゃんとして認められるように、今後60年は続くかもしれない人生頑張りたいと思います。きゅーん🌱

 

SOS007[殴]

 

思想で殴り合わない事を抱負に生きると盟友と約束したはずが、つい先日殴り合いを強要されてしまった。

けしかけて来たのはサンドバッグ並みの皮下脂肪を心に蓄えたような奴で、ガリガリで丸腰の自分には到底敵わない相手だった。

相手が聖母ポジを装って身体を抱き寄せるだけで自分はボコボコにされるに十分だったんで、絵面的には弱者の私が血を吐きながら一方的に小動物レベルのパンチをデカブツに繰り出しているというひっでえ喜劇。私はキツネリスじゃねえんだよ…

そんな出来事により、数日前のドラッギーな多幸感に数ミリのヒビが入り、私は今日まで無表情で泣くハメになっていた。

それは、大事な大事なCDを叩き割られるのにほぼ等しい感覚だった。

 

…まぁ何があったかって言うと、元々理解され難く下手に翳さないようにしてた思想をとある人間に白状せざるを得ない状況に陥った訳なんですよ。何か、その人は他者に、特に親友と呼べる人間には、読心スキルを過剰に発揮する権利(義務?)があると思ってるっぽいんですね。それで救われるっていう人間が実際多いからかもしれませんが…実際観察眼は周りに評価されてる方ですからね。しかし、ああいう接し方がマジ無理って人も居るんですよ。それ正に私の事なんですけど。誰しも絶対に他者が足を踏み入れちゃいけない「聖域」を心に持ってるじゃないですか。人によってはちょっと言葉を交わしただけの赤の他人をもそこに招き入れる事が出来るんでしょうが、私の場合余程分かり合える人間じゃない限り入ろうとしてるのが分かった時点でもう鉄槌を下したくなるんですよ。しかもその聖域がかなり広い上シャッターもでかいので、ああいう読心術施行タイプの人間は自分にとってかなり危険なタイプだと思ってます。しかも向こうは私を親友と思ってるんだから本当に厄介(てか『親友=(イコール)何でも言い合える』という勘違いも甚だしい公式が当たり前かつ美しいものとして蔓延してる社会がもう既に厄介)。接する度に価値観を遠慮なく根元から掘り出そうとしては品定めをしたがる印象を受けるので、滅茶苦茶ウンザリします。まぁ全部私の被害妄想と思われても良いですが…だとしてもそんな穿った見方を強いられるような相手とは会話をするだけでも尋問を受けているかのような心持ちになり、忽ち居心地が悪くなるのは自然な流れと捉えられて良いと思うんです。どっちがヤバイ奴かという話をすれば多分どっちもヤバイって結論になるんで、単純に相性が悪いって話です。で、先日も例に倣って普通に楽しい雑談をしようと試み結局尋問モードに陥ったんで、この際自分を守る為にも価値感を多少零してさっさと品定めを終えてもらおうという考えに至った訳です私は。他でもない保身の為に「人間みんなクズ!!!所詮無に帰るんだから進化の過程で余計な感情提げて来んじゃねえ!!!」っていうのを、相手の共感を避けるべく少しでも通じるであろう所を全部省いてぶつけてみたんです。ポジ思考一切抜きの純粋な闇。遠ざけるにはこんぐらいにする他なかったんですよ。

そしたら相手がとうとう勝手に頼んでもいねー遠回しなネガティブ否定によって私を抱き潰しに来やがったんで、ドン引きは最高潮に達しましたね。それでも負けずに真っ黒な牙を剥き続けた結果、漸く憐れみの眼差しを向けて去って行かれたんで戦闘はどうにか引き分けに終わりました(ここでの勝敗は「妥協」の有無によって決められるものとします)。

結果去ってくれたのは良かったけど、戦い終えた時既に満身創痍でこんな風に今でも引き摺らなきゃならん位にはしんどいです…。

相手は読心からの励ましが通じなくて面白くねえ程度で済んだんでしょうけどね。

 

今や『警戒すべき敵はいつも思慮の浅い味方だ』なんていう、とある小説の一節を只管噛み締めています。
世間的な「前向き」から若干離れた思想をちっと(それも止む無く)零した途端に「不幸」扱いをされる現象。
それを受けた時の心苦しさたるや計り知れないものです。

 

本当は、人間みんなクズだし余計な機能つけ過ぎだけど「まぁ何だかんだその愚かしさ可愛いモンですよね」って話をいつだってメインにしたいんですけどね。

そういう話をするのは自分の言う「クズ」の定義がほぼぴったり当てはまる奴が相手じゃないと無理なんすよね。

さらに悲しい事に、「クズ」をねほりんぱほりんしてくる奴は大体自分の価値観で弱者に斬りかかる隙を狙ってる自称ヒエラルキ最頂部の人間…つまり一番の地雷だったりして。

 

…っああしんどい!!!俗世しんどい!!!

マジ人間って何なの!!?

 

この文を書く前、思想で殴り合わない約束を交わした当の盟友に上のエピソードを明かし「それはお前…仕方ないわ…」的リアクションを頂いた段階で傷の4分の3は癒えたと思われましたが。

後に残った4分の1への執念だけでこんなクソ長いクソ文書けちゃう辺り、自分も例の人もクッッッソキメェんだなって思いました。

 

決して消える事はありませんが、そろそろ無かった事にしてあげます。

ここにずっと残っていれば良いや。

 

終わります。ありがとう🌱

 

 

SOS006[たまのドラッグ]


引き篭もり同士が命を削ってでも混雑した都会に出る事が、致命傷に至らないどころか驚く程のレベルアップに繋がるという事はあり得る。

 

その流れを経て、寧ろ安全と思われる自室こそ私達から生気を吸い取る危険性を一番に秘めていると知る。

 

所詮この世は戦わなければ死ぬ世界だった。
自分は死にたくなんかないんだ。
…そういう事を先日無理に新宿に出て楽しい思いをしてから何だかんだしっかりと噛み締めている。

 

引き篭もり状態の自分から見たらエラく不気味な構図だと自覚している。
躁鬱の躁状態に過ぎないんじゃない?という声すら聞こえる。
そんな声に「うるせえ」と気だるさ全開で返事をして幸福ドラッグに溺れている。
そんな今日この頃です。

 

生きる為に戦う義務が、死にたくない私達自身から私達に与えられているという事は人間臭くて悲しくて愚かしい。これが従来の私の認識。
けど、自分が人間である事を厭うヒマもない程幸福という「ドラッグ」に脳がヤられてる時は、それすらも喜ばしい。

 

どうせ最後死ぬならそれまで今後アホみたいな顔で手繋いで戦って手にした経験値から抽出した幸せを呑んで麻痺して…要は、凡人の「生」を謳歌していけたらなどと思ってしまっている、今や。

 

根が天邪鬼の私だからこんな気持ちきっと一過性のものだろうけど…いや、一過性で全然良いんだろうな。

 

天邪鬼の私は天邪鬼の私でちゃんとした事言ってるし、大事に面倒見ていきたいからほんとたまにで良い。

 

たまにやってくる幸せにうまく溺れる事が出来るようになった時点で、元が拗れてて不器用な人間にしちゃかなり上等なもんでしょう。

 

今はとりあえず可愛い猫を可愛い可愛いしてちょー幸せっていうのがずっと続いて欲しいと思える今を後ろめたさ抜きにして全力で愉しむ。

 

「途切れ途切れでも続けていこうね。」
「にゃー。」

 

最後に、好きな曲です。
https://youtu.be/skTm1_kwR8w

SOS005[ナン]

 

ナンおかわり自由のインドカレー屋さん。

 

そこでナンをお代わりした時はいつも負けてた気がする。

 

一見お得なサービスだけど、私は一枚お代わりするだけで腹十二分目位になるから結果苦しくなって損をするタイプなんだと思う。

 

寧ろナン一枚でカレーの器を空に出来た時の方が達成感がある。

 

今日は、初めてその感覚に気づくことが出来ました。

とても嬉しいです。